3日間にわたるフジロックが閉幕した。正直、今の日本の状況は最悪と言っても大袈裟ではない、多くのフェスが中止を宣言する中、フジロックはあえて「開催する」道を選んだ。観客数はギリギリまで削減、希望者には検査キットを配り、スタッフは優先的にワクチン接種、飲酒は当然NGという、かつてない厳戒態勢での開催。
自分は配信でその模様を見ていたが、終わってから何か書かなければならないような気になって仕方がなかった。まとまりはないが、今の自分の気持ちをつらつらと書いています。よろしければ読んでください。
今回のフジロックに意味を求めるならば、「この国にはライブを求めてる人が大勢いることの証明」なんだろうなと思う。現地にはリスクを承知で大勢の人が集まり、現地に行けなかった何十万人もの人が配信を見守る。少なくともそれは「不要不急」という言葉では片付けられない、長い時間をかけて根付いた「文化」だ。
今の状況で開催に疑問を呈する人が多いことは、「そりゃそうだ」と思う。かつてない危機の中で多くの人が「生きるため」に我慢や自粛を続けている。そんな中で「フェス」なんて百害あって一利なしだろと考えるのは何も間違いではない。
ただ我儘であることを承知で言わせてもらうと、このイベントに関わる全ての人もまた「生きるため」に苗場に集まったことは、わかってほしいなと思ってしまう。適度な距離感を保ちながら、声を出さず拍手で愛を伝える観客、そして同じように迷いながらも「来てくれてありがとう」とステージ上で何度も呼びかけるミュージシャン、そして運営スタッフ…彼らの姿からはリスクを冒してでもこの場に行かなければならないという、迷いの中で見つけたであろう確かな覚悟を感じた。その中で生まれる音楽への純粋な愛情のやりとりに、「生きる実感」を持つ人はまだこの世界には大勢いる。
そんな状況下で繰り出される渾身のライブに、先の見えない時代に光を見た人は、決して少なくないだろう。特にサンボマスターの、中止になったフェスのグッズを掲げながら「フェス愛」を叫ぶ姿は、観客だけでなくフェスに携わる多くの人から感謝の声が上がっていた。
そして3日目の電気グルーヴ、ついにステージ上での再会を果たした2人、その感慨に浸る間も無くベスト盤ともいえる怒涛のセットリストが繰り出される。「大声を出すとコロナがうつるぞ!」という石野卓球の忠告(?)をきちんと守り、拍手とジェスチャーのみで応える観客。画面越しでも伝わる熱気と幸福感には、多くの制限下でややもすれば霞んでしまいそうな「フェスの楽しさ」が存分に体現されていた。というか、あの程度の制限では音楽の自由は決して消し去れやしないんだろう。
結果的に「やって良かった」と思う。その一方で、ただ満足するだけではいけないような気もしている。間違いなく苦渋の決断であったろう今回の開催は、裏を返せばそれだけフェス業界、音楽業界が危機に瀕していることの表れだ。やってもリスクやらなくてもリスク、それだけギリギリのところにいることは、THA BLUE HERBのBOSSのMCが物語っていた。
価値観や思想が異なっていても想いを共有しあえる、それが音楽の、ライブの素晴らしさだと思う。極端なことを言えば、今フジロックのことを疎ましく思っている人であっても、フジロックの空間は決してその人を拒絶しないのだ。そんな「分断のない空間」を守っていくために何ができるか、きっと僕らはこれまで以上に考え、前に進めていかなくてはならない。
最後に、今回のフジロックに携わってくれた全ての人にありがとうと伝えたいです。来年以降、会える時があったら、その時はどぶくさい川べりでビールを飲もう。