ArtTheaterGuildを見ていると、バンドの魂を受け継ぐことの難しさと素晴らしさを感じる。
ArtTheaterGuild(以下ATG)は、Vo.Gt.伊藤のぞみを中心に栃木で結成されたオルタナティヴロックバンド。
たまたまCDを渡したことをきっかけに、なんとジャパニーズオルタナシーンの重鎮、the pillows(以下ピロウズ)のフロントマン山中さわおに見初められ、彼のプロデュース(と寵愛)を受けながら精力的に活動を続けている。
その深い関係性からどうしてもピロウズの音楽性との類似を指摘されることが多い彼ら。それはあながち間違ってはいないが、本記事ではその音楽性を少し深掘りしていく。
結論から言うと、彼らのサウンドの本質は「ピロウズができなかったロック」にあるんじゃないか?と自分は思っている。
30年以上もの間オルタナティブロックをかき鳴らし続けているピロウズだが、2013年頃に「リハビリ」と称して活動休止をしていたことがある。のちに当時を振り返った山中さわおが語ったのは「ピロウズでやれるオルタナの限界」だった。
オルタナティブをやるとどうしても、僕のソロと化してしまうんですよ。それは良い結果を生まない。音楽としては良い結果を生んだけど、曲を作るまでのプロセスとしてバンドの健康状態を損ねるし、僕の気分も良くないっていう。そういうものなんだということを受け入れてやるしかないと、今は思っているんです。
(JANGLE LIFE インタビューより)
自分がやりたい音楽性を突き詰めれば突き詰めるほどバンドの足並みが揃わなくなる…そこに危機感を感じた山中は休止明け後「オルタナからの脱却」を宣言し、『About a Rock'n'Roll Band』に代表されるシンプルで骨太なサウンドにシフトする。(後に無理のない程度にオルタナを鳴らし始めるけど)
25年近く走り続けたバンドに挫折感を味合わせるほどの大きな壁。それを飛び越えた景色を見せようとしているのが、ATGのサウンドであるように思う
ポップで親しみやすいメロディーの中にきらりと光るアイロニックな可笑しみ、それをうわべだけのものにしないタイトな演奏は、ピロウズ活動休止直前の2012年に発表された『トライアル』や、その前年の山中さわおソロ『退屈な男』のサウンドに近い。山中さわおが最も「オルタナ」を意識していた頃のサウンドをATGは継承している。
もちろんATGがその境地に辿り着くまでには、ピロウズの長い歩みが必要不可欠だったことは間違いない。
マンチェスターのブリットポップブーム、そしてアメリカの初期オルタナを日本のロックシーンにいち早く持ち込み、日本における「オルタナティブロック」の土壌を叩き上げたピロウズの試行錯誤。
ATGはただピロウズの音楽性のコピーだけではなく、その試行錯誤の精神を吸収できたからこそ、自らの音楽性を育むことができたように思える。
そしてこの精神性は、彼らの「ピロウズとの向き合い方」にもよく表れている。
皮肉だな お揃いの服を着たって 価値のない化石になれやしない
(鉄紺と黄緑)
ピロウズの代表曲『ストレンジカメレオン』の一節を引用しつつ、「自分達はピロウズにはなれない」という事実と向き合った一節。
ピロウズへの憧れを抱きつつ、そこに甘えない危機感と野心を巧みに表現したこの曲以降、彼らの音楽はますます切れ味を増し、最初に述べた「ピロウズができなかったロック」にぐっと近づいていったように感じる。
ピロウズへの想いが強いあまり、自らのオリジナリティとのバランスに迷っていた時期がなかったわけではないようだ。しかし「このバンドって〇〇っぽいよね〜」とレッテルを貼られ埋もれるバンドも少なくないなか、ATGは自らのルーツに限りなく近い場所にいながら、その模倣で終わらなかった稀有なバンドだ。それが実現できたのは、まさしくピロウズの試行錯誤の精神を受け継いだ証といっていい。
ピロウズを真似るのではなく、そこから一歩先に踏み込んだATGのロックは、今後さらに日本のオルタナティヴロックシーンを動かしていくだろう。
そして彼らのロックに憧れた若者が、ATGもピロウズも越えたまだ見ぬ景色を見せる。そうやってロックカルチャーが育っていけば、とても素敵だと思う。