「時代を変えるのがロックバンドのお仕事!」
そんな強烈なメッセージを抱え、北海道のとある高校で彼らは突如産声を上げた。ホームページに掲載された真偽不明の無茶苦茶なプロフィール、決して上手いとはいえない演奏。しかい甘酸っぱい恋愛からシリアスな人生哲学まで若者の混沌とした想いをド派手に叫ぶその姿にはパンクロックへの確かな情熱が宿っていた。彼ら…「爆弾ジョニー」の鮮烈なデビューは、銀杏BOYZやサンボマスターを継承した新時代の若者による新しい「青春パンク」の誕生だったと言っても大袈裟ではない。
荒々しくも美しい輝きを放つ才能の原石は、自らの衝動に導かれるかのようにメジャーへ殴り込み。1stシングル『唯一人』は大型タイアップがつき、ライブの動員も鰻登りに増えていく。メジャーデビュー翌年の大型フェス「RISING SUN ROCK FESTIVAL2014 IN EZO」では大勢の観客の前で故郷に錦を飾った(その様子は2ndアルバムの特典映像として収録されている)。
一方当時の自分はバリバリの大学受験生。日々ぼんやりとした不安とプレッシャーに覆われる中で、彼らの「なにも怖くない」とでもいうような堂々とした姿は、ひとつの心の拠り所になっていた。
順風満帆に思えた彼らの旅路。しかしその歩みは突如立ち止まることを強いられる。
2ndアルバム『みんなの幸せ』のレコーディングを終えて間もなく、ボーカルのりょーめーが失踪。すぐに連絡はついたものの、彼の精神状態を慮った結果バンドは活動休止を余儀なくされる。休止期間で唯一となった「音楽と人」のインタビュー、その中にいたのは何度も「子供だったんです」と繰り返すりょーめーの、燃え尽きたような姿だった。
嗚呼
雨みたいに隕石が降ってきて 地球がなくなったなら良いのにね
雨みたいに隕石が降ってきて 地球がなくなったならハッピーだぜ
(みんなの幸せ)
休止期間中にリリースした2ndアルバム『みんなの幸せ』は、前向きな曲やふざけた曲が中心を占めつつも、随所に「破滅願望」のようなどす黒い感情が見え隠れしている。誰よりも純粋であるが故に、バンドを取り巻く急激な環境の変化に耐えきれなかった彼の心は、曲の中で何度もSOSを発信していたのかもしれない。
しかしその苦しみは「若者の代弁者」という立場に埋もれていき、本当の意味で届くことはなかった。メンバーや周りの人の責任だけではない、僕らファンも決して軽くない責任を背負っている…そんな思いに駆られ胸が痛くなったことを覚えている。
もはやバンドの存続は絶望的…と思われたが、休止から2年が経とうかという2016年6月、彼らは再びステージの上に立つ。活動再開直後のツアーのライブ音源をまとめたライブアルバム『Live to BAKUDANIUS』は収録曲のほとんどが新曲。まさに心機一転と呼ぶにふさわしい、確かな気概を感じた。
個人的にはa flood of circleとの対バンの前説にて「彗星の如く現れ、彗星の如く一度は消えかけ、そしてまた蘇った」と謳われてたことを今でも覚えている。その復活はまさに一度消えかけた彗星が復活するような、半分あり得ない奇跡だったといえるだろう。
そこから彼らはスターダムへの階段を再び登り始めた…かというと少し違う。活動再開の5人はメジャーレーベルから離れ、自主制作を中心としたDIY的な活動にシフトしていく(実際りょーめーはバンドの活動を明確に趣味と割り切るような発言もしていた気がする)。
バンドがマイペースでも続いていくことが嬉しい反面、これだけの才能が自らの意志で狭いライブハウスに閉じこもっていいのか…と歯痒く思う自分もいた。
しかしステージに立つ5人を見ているとその寂しさは薄らいでいった。やりたいことを自由にやれている精神的余裕が、ステージ全体を優しい空気で満たしていくのを肌で感じられたからだ。長いトンネルを抜け、5人が5人でいられる心地よいペースをようやく見つけられた喜びが、ずっと彼らの復活を待ち望んでいたファンにも伝わっていた。
そしてバンドを取り巻く環境の変化により、曲ももちろん変化していく。ある程度肩の荷が降りたこともあってか、これまでのような熱い曲だけでなく、『Eve』『緑』といった落ち着きのある風通しの良い曲が増え、破滅願望や厭世観が見え隠れしていた歌詞についても、現実を受け入れ進んでいく前向きな言葉に置き換わっていった。
全てを引き裂いた いつか 疲れ切った朝には
何にも見えない闇の中だとしても 逃げたりしないでよ
(Eve)生きたくなくてもいいから 芽生えた確かな感情を
キミはちゃんと掴んで離すな
(A.I.R)
自分たちのペースで一歩ずつ進む姿に、まだまだ行けるな!と期待を寄せていた2022年10月、突然届いた「解散」の報告。事前の告知は一切無し、寝耳に水とはまさにこのこと…とはいえ、「遂に来たか」とどこか冷静に捉えている自分がいた。
思えば「爆弾ジョニー」は、最後まで大人になりきれないまま、人より少し長いモラトリアムを過ごしているようなバンドだった。デビュー直後の後先考えない無謀さはもちろん、活動再開後のDIYな活動も思えば子供の頃作った秘密基地みたいなもの。そう考えると、遅かれ早かれ終わるのは必然だったのかもしれない。結成から12年、高校時代から続いた長い長い青春に、彼らは自らピリオドを打ったのだ。
決して器用なバンドではなかった。しかし5人の「少年」が駆け抜けた道のりは、大人であることを求められる社会の中であがく多くの人に勇気を与え続けてきた。もちろん自分も何度も勇気をもらった1人。寂しくないと言えばうそになるが、今はただ少年のままがむしゃらに走り続けた5人の新たな門出を祝したい。本当にありがとう。
少し遠い未来、再び5人が爆弾ジョニーとしてステージに立つことはあるのだろうか。なんせ誕生も休止も再開も解散も全てが突然だった彼らのことだ、案外ありえないことじゃないかもしれない。ジジイになったりょーめーが、RISING SUN ROCK FESTIVALで『な〜んにも』と歌う姿を想像すると、あまりにロックすぎて笑えてくる。どうだろう?