カネコアヤノ、およそ1年8ヶ月ぶりのフルアルバム。前作『よすが』以降ビッグなアーティストとの対バンライブやコラボ、武道館ワンマンなどを経て、日本を代表するアーティストとして成長を続ける彼女。これまで育て上げてきた唯一無二の魅力はそのままに、新たな発見をたくさん感じられる傑作となっている。
再生ボタンを押しまず耳につくのは、1曲目『わたしたちへ』で鳴り響く轟音のギターだ。
いつぞやのインタビューでは「カネコアヤノは実質4人のバンド」なんて言葉も飛び出すほど、「バンド」に対し強い思い入れを抱く彼女。一方で従来の音源ではあくまで「歌」に重きが置かれ、ギターをはじめとするバンド演奏は1歩引いた位置に立っていた。そのためライブに行くたびに、バンド演奏の激しさ(とメンバーのキャラの濃さ)に良い意味でギャップを感じることが常だった。
本作ではそんなバンドサウンドが過去作よりもぐっと前に押し出され、ライブの熱量がそのままパッケージングされたような濃厚な作品に仕上がっている。『わたしたちへ』『タオルケットはおだやかな』で鳴り響くシューゲイザーのような轟音はもちろん、『やさしいギター』の可愛らしいワウギターや『予感』の強烈なノイズなどの飛び道具的なアプローチも面白い。前作『よすが』を踏襲したソフトロックやネオアコ寄りの曲においても、バンドサウンドの音量がやや大きめに調整されているようにも聴こえ、シンプルな編成ながらどしっと構えるような安定感が増した。
2018年にバンドメンバーがほぼ固定化。レコーディングやライブなど多くの時間を共にする中で、「サポートメンバー」という枠を超えた強い絆を感じていることは何度もインタビューで語られてきた。前作以降、初の武道館ライブやドラマーの脱退など、「バンド」として様々な経験を積んできたことで、バンドであることに対する強い想いが、今作でははっきりと表に出ているように感じる。
ギターサウンドの比重が大きくなったことで、肝心の「歌」や彼女の「言葉」が埋もれているかというと、もちろんそんなことはない。以前本ブログにて、「彼女の歌声には独特の“ゆらぎ”がある」と書いたことがあるが、1フレーズの中でも力の加減や呼吸の流れを繊細に変化させる彼女の歌は、分厚いバンドサウンドに支えられながらその存在感をさらに増している。
力強さと優しさが入り混じる歌声はよりしなやかに洗練される一方で、あえて苦手な裏声を多用したという『気分』では森田童子のような寂寥感のあるウィスパーボイスも飛び出し、ここにきて初めて見せる新たな引き出しにも驚かされた。
彼女の言葉は決して絶対的な優しさ、無差別な愛をばら撒くようなことはしない。『季節の果物』で《全てに捧ぐ愛はない》《あなたと季節の果物を分け合う愛から》と歌うように、あくまで自身の等身大の優しさでリスナーと向き合ってくれる。そのうえで《良いんだよ わからないまま》とタイトル曲で歌い切る彼女の言葉は、正論と極論が横行する時代のなかでともすれば泣き出しそうな幼い心に、そっと寄り添っている。
本作のタイトルが発表された時、最初に連想したのは「ライナスの毛布」だった。漫画「ザ・ピーナッツ」に登場する少年ライナスが始終持ち歩くタオルケット毛布、そこから転じて幼い子供が特定のモノにすがることで安心感を得る現象だ。
常に隣に置いておきたい安心感、孤独や切なさを包み込む温かさ、たとえ時が経とうとも役目を失うことのない強さを持った「毛布」として、彼女の音楽はこれからも多くの人の「幼さ」に寄り添い続ける。そう確信できるアルバムになっている。