Mr.Children史上、最も「優しい驚き」に満ちている。
(公式サイトより)
「びっくりするくらい優しくねえ」
Mr.Childrenの新作『miss you』を一通り聴いた後に思い浮かんだ感想は、これだった。
温かみよりもむしろもの寂しさを感じさせるネオアコ風のサウンド、どこか内省的な言葉の数々は、単に「今はこういう気分」とは言い表せない、明らかに何かが抜け落ちたような空虚感がある。13曲52分、Mr.Childrenというバンドが本作をもって、これまでと全く異なるフェーズに移ったことを示すには十分すぎた。
本作は外部プロデューサーは呼ばず、4人だけでプライベートスタジオに入り制作されたという。ある意味これまでで最もバンドのエゴが凝縮された作品といえる。1曲目の『I MISS YOU』にて「なぜ歌うのか」と自問自答する姿が象徴するように、本作は「誰かのため」ではなく徹頭徹尾「自分自身」に歌っているように感じた。
これまで多くの人の人生を揺り動かしてきた彼らが、今、改めて自分と向き合う。しかもその目線は、30年以上前線に立ってきた自らをねぎらうでも、肯定するでもなく、あいも変わらず迷いを抱えている自らの心情を抉り出すような鋭さを備えている。
それが最も表れているのは6曲目『アートー神の見えざる手ー』だ。無機質に響くリズムに乗せたヒップホップ調の楽曲。赤裸々に歌われる《子供の頃の消せない記憶》は、これまでのどんな過激な歌詞よりもおぞましい。さらにはそのトラウマを《安直なセックスの匂わせ》と一笑に付し、そのおぞましさをもって《僕のアートは完成に近づく》と豪語する。
ここで歌われたことが桜井和寿の実体験かどうかは重要ではない。「アーティスト」であるからには自らの穢れもアートに昇華しなければならない、というある種の「業」と真正面から向き合う姿には、これまで彼らの曲にはなかった畏れのようなものを感じてしまった。
思えば『Atomic heart』『深海』を経て、表現の幅を一気に広げたミスチルの音楽は、様々な世界に生きる様々な人間の姿を描くことで、多くの人の心を捉え、その人生に影響を与えてきた。
その一方で誰かの人生を歌えば歌うほど、本当の自分を見失っているような瞬間もまた、随所に暗い影を落としていた。
自分に嘘をつくのがだんだん上手くなってゆく
(『Prism』)
"情熱も夢も持たない張りぼての命だとしても
こんなふうに誰かをそっと癒せるなら"
(『イミテーションの木』)
「どこかの世界」で「誰かの人生」を描くほど、見えづらくなっていった「本当の自分」。その蓄積のなかで誰かのためではなく、自らに向けた創作欲が爆発したのが本作だとするならば、「miss you」というタイトルには、何重もの仮面の下に隠れた本当の自分を探し求める想いも含まれているのではないか。
しかし、13曲の旅路の果て、「本当の自分」を見つけることができたかというと、あまりそうは思えない。先述の『アート』の次曲に、家族の絆を歌う『雨の日のパレード』が続く異常な温度差が物語っているが、自分を探すなかで、かえって自らの得体の知れなさを浮き彫りしてしまったように映った。
30年以上の歩みのなかでどんどん複雑化し、簡単に輪郭を捉えられなくなった彼らの姿は、名実ともに「モンスター」バンドとなってしまったように映る。自らのことを歌えば歌うほど、バンド自身がその複雑さに振り回されているような感覚を覚えた。
ラストで歌われる『おはよう』は、同棲したてのカップルの何気ない日常を描いた穏やかな歌詞だ。ここまでの流れを省みると、「結局自分たちは誰かの人生を歌うことでしか自分を表現できない…」という悟りに近いものを感じてしまうが、不思議と悲壮感は少ない。混沌とした自分探しの果てに、今まで見つけられなかった境地に辿り着いたような、厳かな響きがある。
冒頭にも述べたが、今作でミスチルはバンドとして新たなステージに立ったと思う。彼らは本作をもって、国民的とか、日本を代表するとか、そんな枕詞を脱ぎ捨て、自らのエゴの赴くままに「ロックバンド」として生きることを選択した。
そんな決意が込められた本作は、過去の名作と全く異なる響きを放ちつつも、確かに心に響くアルバムとなっている。たどり着いた境地から彼らがどんなサウンドを鳴らすのか…静かにその動向を待ちたい。