2021年3月17日、GRAPEVINEが突如発表した新曲、『Gifted』
GRAPEVINE - 「Gifted」(Official Lyric Video)
最初は、いつものGRAPEVINEだなと思った。美しさと憂いを帯びたまま、聴き手のいる空間をゆっくりと覆っていくような重厚なバンドサウンドが心地よい。
しかし歌詞を読んでいくにつれ、やや戸惑いを覚えた。それはここ数年にわたって彼らが紡いできた表現の流れからは明らかに逸脱していた。ここ最近ではあまり表に出ていなかった彼らのダークな側面が、今作では少し露骨なくらいに顔を出していたのだ。
ここ最近…コロナ禍に陥る前のGRAPEVINEは、結成25年という節目を迎え、これまでのキャリアと改めて向き合い、改めて前に進んでいこうとする動きが確かにあった。《このままじゃまだ終われないさ 先はまだ長そうだ》と新たな旅路への決意を固めた『Arma』、そして《キミの味方ならここで待ってるよ》と何物をも包み込む優しさに溢れた『すべてのありふれた光』。「若いもんには負けませんぜ」という余裕のある笑み、そして長い年月を経た巨木のような安心感を引き連れたその姿には、もうどんなことがあっても崩れないという安定感があった。
だが今作『Gifted』はそんなこれまでの彼らとは少し違う。《私の声など聞こえないか》という卑屈な言葉を投げる先にあるのは、《神様が匙投げた》世界。そこで生きる者に対し、《どれもこれももういい》《さよなら》という諦めのような言葉。まるで自らを世界から切り離そうとするかのような姿勢は『Arma』や『すべてのありふれた光』で見せたそれとは対照的だった。
歌詞を見た上で改めてタイトルを読む。
Gifted(ギフテッド)
先天的に、平均よりも、顕著に高い知性と共感的理解、倫理観、正義感、博愛精神を持っている人のこと
(Wikipediaより抜粋)
前々作『ROADSIDE PROPHET』の頃のインタビューで話していたが、Vo.田中和将自身は自分の中にある音楽の才能を否定している一面があって、そういった人間があえて「才能」を意味する言葉をタイトルにつけたのは言葉尻だけでは掴めない意図(おそらく嘲笑、皮肉のようなもの)が含まれているように思う。
事実多くの人がこのタイトルについて多種多様な解釈をしていた。正解などないことを承知であえて自分の思いを書くと、《神様が匙投げた》世界を導いてくれるような「Gifted」を待っているように聴こえる一方で、仮に持っていたとしてそれが今の世界で何の役に立つんだろう、という痛烈な皮肉が込められているように感じた。「才能」に対する猜疑心のようなものがひしひしと伝わってきたのだ。
この曲が生まれた背景には、間違いなくこの1年での時代の変化が関係しているだろう。表現の場を奪われ、これまでの活動が「不要不急」という言葉で雑に片付けられた憤りや悲しみは、当事者にしかわからない。だが少なくとも田中和将にとっては、それは簡単に慰められるものではなかったのだ。自らの曲で幾度もなく取り上げた「光」について、《光など届かなかったんだ》と弱々しく吐き捨てるくらいには。
穏やかに進むはずだった表現の流れが、この1年で大きく歪み始めてしまった…そんな現実への戸惑い、怒り、悲しみが誤魔化しなく伝わってきたのが、一ファンとしてはただただ辛かった。
だからといって今回の曲に不満があるとか、GRAPEVINEが聴けなくなったとか、全然そんなことはない、むしろ真逆。確かに『Gifted』は辛い曲だ、だが今あえてこのメッセージを出したことは、彼らが今も時代を映し続けている現在進行形のロックバンドであることの証明に他ならない。自らを取り巻く現実から目を逸らさず、それを多彩なサウンドと言葉で切り取っていく姿勢は、これまでGRAPEVINEがずっと続けてきたことだ。
これを皮切りに彼らが次にどのような表情を見せてくれるかは、少し不安である一方楽しみでもある。たとえもっと辛い曲が生まれたとしても、それはきっと巧みな表現センスに包まれたものになるであろうということは、彼らのこれまでのキャリアと名曲が証明してくれているのだから。混沌の時代の中で彼らが何に光を見出すのか、そっと見届けたいと思っている人は、きっと僕だけじゃないはずだ。