ロックンロール戦線異常あり

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「王様になれ」感想

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「30周年を迎えるにあたって、絶対に君たちが想像できない面白いことをやります」

 

昨年からピロウズのVo.山中さわおが言い続けてきたこの言葉は、「映画」という形で僕らの前に現れた。しかもバンドの歩みを辿るドキュメンタリーでもライブ映像でもなく、ピロウズファン=バスターズの青年を主人公にした完全なオリジナルストーリー。「一体どうなるんだ…?」というファンの期待を背に映画製作の様子はTwitter等で逐一報告され、そして満を辞して公開を果たした。そこに描かれていたのは、たとえ昨日まで選ばれなくても、明日を待ち続ける1人の青年のリアルな姿だった。

 

 

以下ネタバレあり

 

 

前情報でもさんざん出ていたが、この映画の主人公はthe pillowsではない。岡山天音演じる神津祐介という一人の青年だ。カメラマンを目指しながらも、なかなか芽が出ずうだつの上がらない日々を送っていた祐介が、ユカリという1人の女性、そしてthe pillowsとの出逢いをきっかけに「なりたい自分」を目指してもがきながらも少しずつ進んでいく。この映画のためだけのオリジナルストーリー、完全なフィクション。でも僕はこの映画に強い「リアル」を感じずにいられなかった。

 

理由はいろいろある。まずは主人公祐介の存在。夢に向かって努力はしているものの、なかなか光は見えず、同期の活躍に焦りを感じ、想いを寄せる女性にもなかなか素直になれない。そんな祐介の姿はピロウズの歌詞に何度も登場する「僕」の姿と重なる。孤独や迷いを抱えながら、同じような境遇の人に何度も寄り添い、背中を押してきたピロウズの曲の主人公をそのまま具現化したような祐介の姿は、特にピロウズを好きな人にとっては自分と重なるくらいリアルな存在として受け止められるように思う。僕自身も、祐介の姿が過去の自分と重なる場面は沢山あった。恥ずかしいから具体的には言わないけど…。

 

そして何度も壁にぶつかり、時に道を間違えながらも一歩ずつ先へ進んでいく祐介の歩みは、「the pillows」というバンドそのものの歩みとも似ている。祐介、ピロウズの歌詞の中の「僕」、そしてピロウズ自身、この3人の姿が重なることで、フィクションであるにもかかわらず、物語には言いようもない説得力が生まれている。

 

そんな祐介の物語を彩るミュージシャン達。彼らは祐介達の物語に深く介入はせず、あくまで「ミュージシャン」として立ち回る。「本人役」というよりは、「本人」として物語の中に存在する彼らの姿もまた、この作品の「リアル」を補強している。

 

映画内で1番演技をしているミュージシャンはもちろんピロウズのフロントマン山中さわお。彼もまた完全に本人として登場しているのがホントに面白い。パンフレットで怒髪天の増子さんもコメントしていたが、記念映画だからといって決して神格化せず、良くも悪くも「そのまんま」のピロウズ…というか山中さわおの姿が映っていたことがとても新鮮だった。嫌いなネギが入っていることにキレ、写真の出来が打ち合わせと違うことにキレ…本人曰く「普段の俺はここまでキレないよ!」とのことだが、物語の中のさわおさんが、僕らバスターズが普段から想像している「さわおさん」でいてくれたことが本当に嬉しかった。そして彼の行動や言動が様々な形で祐介に影響を与え、物語を動かしていく様子からは、やっぱりこの映画がピロウズから影響を受けた人=バスターズのための映画であることを実感する。

 

悩みの果てで遂に「なりたい自分」への一歩を踏み出せた祐介。そして彼との出会いを通じて大きな決断を果たしたユカリ。そんな2人の背中を押すように「この世の果てまで」のライブシーンがこの映画のラストを飾る。このシーンと平行してなされたタイトル回収には、本気で泣きそうになった。なりたい自分を模索し続けた先に見つけた「王様になれ」というメッセージは、ここで回収されるからこそストンと落ちてきたように思う。ライブシーンも含めたこの数分間は、規模は違えどボヘミアンラプソディーのライブエイドのシーンと同じようなカタルシスが確かにあった。

 

熱さと優しさが共存する傑作青春映画であると同時に、劇中のセリフや場面を通して、ピロウズがこれまでどう歩んできたか、そしてどんな人に、どんな風に愛されてきたのかがよく分かる1本。ピロウズを好きな人は問答無用で楽しめると思うし、「他のゲストミュージシャンが気になって見に来た!」という人も鑑賞後にはピロウズが気になってる存在になっている…そうあってほしいと思う。この映画がずっとピロウズを応援してきた人だけでなく、まだ見ぬバスターズへと届きますように。